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金沢検定の第14回講座~歴史
きょう「金沢検定」の第14回講座に行ってきました。
今回の講師は、県立歴史博物館学芸専門員の本康宏史さん。
金沢の近現代のお話です。
その主なところは、・・・

◆1869年(明治2年)の版籍奉還から1871年(明治4年)の廃藩置県まで、金沢藩の藩庁はどこにあったか?
→答えは、長町。
長町の旧家老・長成連(ちょう・なりつら)邸に置かれていたそうです。

◆前田家の「御三家」といえば、富山藩、大聖寺藩と、あと一つはどこ?
→答えは、七日市藩。
七日市藩は、今の群馬県富岡市で、前田利家の五男・利孝が11歳で江戸に送られ、前田家が大坂の陣で戦功を上げたことで、幕府から七日市藩1万14石を与えられたものです。
のちに、加賀藩(本家)へ後継藩主を送り込んだこともあるそうです。
徳川の「御三家」(尾張藩、紀州藩、水戸藩)によく似た形です。

◆1871年(明治4年)、廃藩置県で誕生した金沢県の県域はどこか?
→今の石川、富山両県のうち、富山市周辺、加賀市(大聖寺)周辺、白山周辺を除いた部分。
つまり、加賀藩の区域がそのまま金沢県になりました。
ちなみに、富山市周辺は旧富山藩、加賀市周辺は旧大聖寺藩、白山周辺は旧天領です。
能登にも飛び地で天領があり、これらの地域は、飛騨県(のち高山県)になったそうです。これは、高山に天領を管轄する陣屋があったことによるようです。
ということは、金沢県の中に一時期、飛騨県(のち高山県)があったということです。興味深いお話でした。

◆かつて陸軍の兵器庫として使われた建物は、どこ?
→答えは、県立歴史博物館。
赤レンガの建物で、明治42年から大正3年にかけて竣工。現在、国指定重要文化財です。

本康宏史さんのお話は、エピソードも織り交ぜながら、面白いお話でした。
この講座も、早いもので、第14回が終わり、あと3回を残すだけになりました。

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旧陸軍の兵器庫(現・県立歴史博物館)


きょうは、このあと、犀川の花火大会に行ってきます♪
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by tokimekiroman | 2006-07-29 18:06 | Trackback | Comments(4)
金沢検定の第13回講座~民俗
金沢検定の第13回講座に行ってきました。
今回の講師は、北陸大学教授で民俗学の小林忠雄さんです。
テーマは「金沢の民俗」。その主なところは・・・

◆彼岸の中日、無病息災を願って、浅野川にかかる常盤橋、天神橋などを渡る「七つ橋渡り」。その決まりごとは、?
→ 一筆書きのようにして回り、同じ橋は渡らない。
→ 一つの橋を渡る前後に合掌をする。
→ しゃべってはいけない。
これらを守れば、下の病にかからずに済むといわれています。

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「七つ橋」の一つ、中の橋


◆「四万六千日参り」で知られる卯辰山山麓の観音院では、厄除けの縁起物として、あるものを売っているが、そのあるものとは?
→ トウキビ(唐黍)
これを玄関先に吊るしておくと、厄除けと家内安全、商売繁盛の功徳があるそうです。

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「四万六千日」のトウキビ


この他、新暦と旧暦の違いや金沢に伝わる氷室、土用、針千本のことなど、面白い話をして頂きました。
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by tokimekiroman | 2006-07-22 19:02 | Trackback | Comments(6)
城下町を歩く~本多町界隈~
きのう、土砂降りの中、「城下町を歩く~本多町界隈~」という企画に参加してきました。
これは、石川県立歴史博物館がサポーターの「れきはくメイト」を対象に実施したものです。
講師は、同館学芸専門員の長谷川孝徳さん。「金沢検定」の講師でもおなじみです。

まず、兼六園の近くにある旧陸軍第九師団司令部庁舎で長谷川さんから説明を受けます。明治期の建物で、お勉強というところがいかにも歴史博物館のイベントらしいと感心しました。

で、そのあと本多家の屋敷町を中心に見学しました。
本多家については、ちょっと説明が必要ですが、初代の本多政重は慶長16年(1611年)、加賀藩の2代藩主・前田利長に招かれ、知行3万石(後に5万石)を得ていた筆頭家老です。
他国なら大名にも匹敵する5万石の家老ですから、10万坪を超える広大な敷地に上、中、下の屋敷を構え、家臣500人余りを抱えていたということです。

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石川県立美術館

このあたり一帯が本多家上屋敷の跡です。上屋敷の敷地は、1万800坪余りです。


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石川県立歴史博物館

ここの半分ぐらいが本多家上屋敷の敷地になっていました。


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「美術の小径」横の辰巳用水

大雨のせいで、用水の水が滝のようです!
今は「美術の小径」と呼ばれていますが、ほぼ同じ場所に「裏坂」という坂があり、下屋敷に住んでいた本多家の家臣がこの坂を上って、上屋敷に「通勤」したそうです。


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松風閣(本多家上屋敷御対面所)

移築されて、本多家中屋敷跡(現在は、北陸放送)にあります。
加賀藩12代藩主の七女・寿々姫が本多家9代・政和へお輿入れした際に、藩主が上屋敷内に建てた御広式(御対面所)です。藩主が姫に会うための場所なので、「御対面所」と呼ばれていました。天保5年(1834年)の建築で、築172年! 国の登録有形文化財です。
現在の県社会福祉会館、県立図書館、北陸放送のあたりに中屋敷がありました。中屋敷の敷地は、1万坪余りです。


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松風閣庭園(本多家庭園)霞ヶ池

本多家中屋敷にあった庭園がこんにちも残っています。庭園は、約2500坪。
小堀遠州、金森宗和という当時の代表的な作庭家の技法が調和した日本でも珍しいものだそうです。
写真に見える霞ヶ池には、兼六園と同様、辰巳用水の水が引かれていました。

※ この松風閣庭園と松風閣は、ふだんは非公開となっていますが、今回は、特別に見せていただいたものです。


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石川県立工業高校

このあたりは、下屋敷で、本多家の分家や家臣の家がありました。下屋敷は、7万坪余りでした。


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曹洞宗本行寺

本多家が3代藩主・前田利常の命により、僧・日海(囲碁の初代本因坊算砂)を京から招き、敷地の一角に寺を作って住まわせたものです。

筆頭家老の本多家といえば、初代の政重が徳川家康の重臣・本多正信の次男であり、加賀藩の「お家の一大事」を救ったこともあり、加賀藩では絶大な権勢を誇ったようですね。

長谷川さんのお話は分かりやすく、ユーモアもたっぷりで、楽しいイベントでした。

PENTAX *ist Ds
SMC PENTAX DA12-24mm/F4ED
金沢・本多町界隈
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by tokimekiroman | 2006-07-17 22:13 | Trackback | Comments(14)
金沢検定の第12回講座~歴史
金沢検定の第12回講座に行ってきました。
今回の講師は、石川県立歴史博物館学芸専門員の本康宏史さんです。

その主なところは・・・

◆加賀藩年寄を勤めた横山隆興は、明治維新の後、大きな事業に投資した。その事業とは<鉱山業>である。
県南部にある尾小屋鉱山を経営して、財を築きました。
当時、「金沢で偉いものは、本願寺と横山男爵」と言われたそうです。

◆「加賀の平賀源内」と称される大野弁吉が、原型も含め、からくり(発明品)の中で、作ったものは、<万歩計><ライター><エレキテル>である。
大野弁吉は、20歳の頃、長崎で学び、のち30歳の頃、加賀へ来て、数々のからくりを作り、「加賀の平賀源内」と言われたそうです。

◆卯辰山の別名は、<向山><夢香山><臥竜山>である。
卯辰は東南東の方角で、一般に金沢城から見た方角と思われがちですが、小坂のあたりから見て、卯辰の方角にあるので、卯辰山となったそうです。

と、いうようなお話でした。

この講座も全17回のうち、12回が終わり、あと5回になりました。
11月の検定試験まで、あと4ヶ月。だんだん足元に火がついてきた感じです。

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卯辰山(左)と浅野川

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by tokimekiroman | 2006-07-15 22:47 | Trackback | Comments(10)
金沢検定の第11回講座~思想家
きのう、金沢検定の第11回講座に行ってきました。
今回の講師は、石川県立看護大学教授(哲学)の浅見洋さんです。
「金沢の思想家とその周辺」というタイトルで、話していただきました。

その主なところは、・・・

◆「金沢は日本のワイマールである」(独文学者・小松伸六の言葉)と言われる。

◆「加賀の三タロウ」とは・・・
 西田幾多郎、鈴木貞太郎(大拙)、藤岡作太郎

◆鈴木大拙・・・明治3年、金沢市本多町に生まれる。石川県専門学校に学ぶ。西田幾多郎、藤岡作太郎らと親交を深める。東京専門学校に学ぶ。「近代日本最大の仏教者」と言われる。著書は「禅と日本文化」など。

◆西田幾多郎・・・明治3年、河北郡宇ノ気村に生まれる。石川県専門学校、第四高等中学校に学ぶ。東京帝国大学に学ぶ。後に京都帝国大学教授。日本を代表する哲学者。その哲学は「西田哲学」と呼ばれる。著書は「善の研究」など。西田が京都時代に散策した道は「哲学の道」と呼ばれている。

◆藤岡作太郎・・・明治3年、金沢市早道町に生まれる。石川県専門学校、第四高等中学校、東京帝国大学に学ぶ。後に東京帝国大学助教授。40歳で死去。「近代国文学の創始者」と言われる。

◆三宅雪嶺・・・万延元年、金沢市竪町に生まれる。雑誌「日本及日本人」を発行。明治から昭和前期にかけて活躍した日本を代表する言論人。

明治から昭和前期にかけて活躍した、これらの人たちは、明治維新に乗り遅れた加賀藩の中間階級の出身者が多い。

5代藩主・前田綱紀が図書の収集に力を入れ、「加賀は天下の書府である」(新井白石)と言われた加賀藩の土壌が根底にある。

・・・大学の先生の話だけに、格調は高く、かなり難しい内容でしたが、今までの断片的な知識がつながり、勉強になりました。

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旧制四高校舎(現・石川近代文学館)

明治20年、石川県専門学校を前身として、第四高等中学校が設立された。
明治27年、第四高等学校に改称。
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by tokimekiroman | 2006-06-25 20:22 | Trackback | Comments(4)
金沢検定の第10回講座~金沢ことば
きょうは、金沢検定の第10回講座に行ってきました。
講師は、金沢大学教育学部教授の加藤和夫さん(日本語学)で、テーマは「金沢ことば」です。
金沢に生まれ、金沢に育った私にとっては、当然、金沢の方言を使いこなしてきた訳ですが、これまで知らなかったこともあり、知ることの楽しさを教えてくれた講義でした。

たとえば・・・

◆「いらっし」「見まっし」などと使う「まっし」は、敬語助動詞「まさる」が動詞に接続したもので、命令形が「まっし」となる。
これには、2種類あり、五段活用の動詞「頑張る」には終止形で接続し、「頑張るまっし」となるが、一段活用の動詞「見る」には連用形で接続し、「見まっし」となる。
ところが、最近では五段活用の動詞にも連用形接続が一般化し、「頑張りまっし」となっている。
金沢市内の交通標語の看板には「金沢はゆっくりきまっし走りまっし」とあるそうです。

◆「ほうやね」は、「そうやね」「その通り」という意味だが、京都、福井、石川、富山では、「そ」が「ほ」に転化する例が多い。

◆鉛筆の先を削ってとがった状態を金沢では「ケンケン」という。ところが、富山では「ツクツク」、福井では「ツンツン」といい、愛知では「トキトキ」という。その他の地方では、「とがっている」としかいわない。

◆小中学校の通学区域のことを金沢では「校下」という。北陸3県と岐阜県北部でも「校下」という。ところが、岐阜県を境に、東日本では「学区」といい、西日本では「校区」という。

ふだん、何気なく使っている言葉にも深い意味と背景があることが分かり、興味が出てきました。

興味が出たついでに、こんな本を買って帰りました。
なるほど、最近のいい方で、「頑張りまっし」となっていますね。

新頑張りまっし金沢ことば
加藤 和夫 / 北国新聞社
ISBN : 4833014416
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by tokimekiroman | 2006-06-17 19:16 | Trackback | Comments(10)
金沢検定の第9回講座~文学
きのう、金沢検定の第9回講座に行ってきました。
今回の講師は前回に引き続き、北陸大学名誉教授の小林輝冶(てるや)さんで、金沢の文学について学びました。

少しだけ紹介すると・・・。

◆泉鏡花は、明治6年、金沢市下新町、現在の尾張町に生まれた。父・清次は象嵌の職人。
 母は鏡花9歳の時に亡くなり、これが彼の文学に決定的な影響を与えた。
 17歳で上京、尾崎紅葉に弟子入りし、明治27年に発表した「義血侠血」は、水芸の太夫・滝の白糸を主人公にした小説で、彼の出世作となった。

◆徳田秋声は、明治4年、金沢市横山町に生まれた。徳田家は代々、加賀八家の一つ、横山家の家臣だった。
 泉鏡花の活躍に刺激され、尾崎紅葉に弟子入り。明治40年代に、島崎藤村、田山花袋に続く自然主義の作家として認められた。

◆室生犀星は、明治22年、金沢市裏千日町に生まれた。
 犀星は、大正7年、29歳の時、第一詩集「愛の詩集」、さらに有名な「ふるさとは遠きにありて思ふもの」で始まる「小景異情」を収めた第二詩集「抒情小曲集」を続けて出版し、詩人として確固たる地位を築いた。

◆金沢の旧制四高に学んだ作家に、井上靖、中野重治、高橋治がいる。

金沢という町がはぐくんだ文学的土壌の豊かさを思うと、学ぶべき多くのものがあると思われます。

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3文豪像(白鳥路)


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室生犀星像


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泉鏡花像


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徳田秋声像

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by tokimekiroman | 2006-05-28 18:06 | Trackback | Comments(8)
金沢検定の第8回講座~文学
きのう金沢検定の第8回講座に行って来ました。
今回の講師は、北陸大学名誉教授の小林輝冶(てるや)さんで、金沢の文学について講義して頂きました。

その主なところは、・・・。

◆泉鏡花が金沢を舞台に描いた小説で、新派の「滝の白糸」の原作となったのは?
 ・・・「義血侠血」

◆室生犀星が金沢を舞台に描いた小説は?
 ・・・「性に眼覚める頃」

◆「はは恋し 夕山桜 峰の松」の句が刻まれている卯辰山の句碑は、誰の句碑?
 ・・・泉鏡花

◆旧制四高に学んだ作家の井上靖が当時熱中したスポーツは?
 ・・・柔道

◆五木寛之が金沢を舞台に描いた小説は?
 ・・・「朱鷺の墓」

◆泉鏡花と徳田秋声。二人の共通の師は?
 ・・・尾崎紅葉

◆徳田秋声の短編小説「町の踊り場」を「神の手になるもの」と高く評価した作家は?
 ・・・川端康成

というようなところです。
軽妙な語り口が面白かったです。

やはり3文豪のことが多いですが、試験問題としては、他の地元作家として、島田清次郎、杉森久英、深田久弥、水芦光子、桐野夏生、唯川恵も要マークですね。

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泉鏡花句碑(卯辰山中腹)


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徳田秋声文学碑(卯辰山望湖台)


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室生犀星文学碑(犀川河畔)


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金沢の街


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小雨に煙る浅野川

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by tokimekiroman | 2006-05-14 15:04 | Trackback | Comments(6)
野田山の前田家墓所
加賀百万石の殿様・前田家の墓所は、金沢の野田山にありますが、この前田家墓所と富山県高岡市にある前田利長墓所を一体として、国史跡指定をめざす動きが本格化しています。
金沢・高岡両市と石川・富山両県の文化財担当者がきょう、野田山の前田家墓所を視察し、会合を開いたそうです。

では、野田山の前田家墓所をちょっと紹介しましょう。

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藩祖・前田利家の墓


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利家夫人・まつ(松)の墓

こちらは、NHKの大河ドラマ「利家とまつ」で、一躍有名になりましたね。

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利家の兄・利久の墓

兄・利久は、尾張荒子で2000貫を知行していたが、織田信長の命により、家督を弟・利家に譲ったといわれます。利久の墓は墓所の一番高い場所にあり、利家が兄を丁重に遇していたことが伺えます。

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2代藩主・前田利長の墓

利長は、利常に家督を譲ったあと、高岡城で没したため、高岡にも墓所があります。

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重臣・村井又兵衛の墓

利家が最も信頼していたといわれる重臣・村井長頼(又兵衛)の墓が前田家墓所の入口にあります。

そういえば、昨年の金沢検定(中級)には、こんな問題がありました。

◆野田山の利家・松夫妻の墓にほど近く、参道の石段のかたわらに、利家が最も頼りとした家臣の石塔墓がある。その人物とは、次のうちだれか。

①奥村永福  ②村井長頼  ③篠原一孝  ④横山長知

で、正解は、②の村井長頼。

これは、難しいですよね。私はできませんでした。
今年は、「前田家墓所の中で一番高い場所に墓があるのはだれか」という問題が出たりして・・・・。

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金沢・野田山の前田家墓所
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by tokimekiroman | 2006-04-27 23:02 | Trackback | Comments(10)
金沢検定の第7回講座~工芸
きのう、金沢検定の第7回講座に行ってきました。
今回の講師は、金沢学院大学美術文化学部教授の山崎達文さん。
主に、金沢の工芸について、話して頂きました。
これを金沢検定の問題ふうにすると・・・。

◆経済産業省が指定する伝統的工芸品で、金沢ゆかりの業種を上げよ。

 答:加賀友禅・九谷焼・金沢仏壇・金沢箔・金沢漆器・加賀繍(ぬい)

◆加賀友禅の色彩の基調となっている加賀五彩の色を上げよ。

 答:藍・臙脂・黄土・草・古代紫

◆利常は文化政策に力を注ぎ、茶道では小堀遠州や千宗室、能では金春太夫、絵画では俵屋宗達らを招き、金沢の文化の基礎を築いた。では、刀剣では誰?

 答:本阿弥光悦

◆加賀友禅の祖・宮崎友禅斎ゆかりの寺で、今も友禅染関係の行事が行われているのはどこ?

 答:龍国寺

といったような内容です。
金沢の工芸について、知っているようでもうろ覚えが多く、しっかり知らなければ、と痛感しました。

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小堀遠州作の庭園(尾山神社神苑)


金沢検定の試験は、11月19日(日)。
試験まで、あと6ヵ月余りになりましたね。
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by tokimekiroman | 2006-04-23 20:39 | Trackback | Comments(6)