「殿様の生活エピソード」を聞く
きょうも「れきはく」、県立歴史博物館に行ってきました。
兼六園周辺文化の森ミュージアム・ウィークの一環で、講演会がありました。
講師は、石川県立歴史博物館館長の徳田寿秋さん。
演題は「殿様の生活エピソード~第14代慶寧を中心に~」。

前田慶寧(よしやす)は、天保元年(1830)5月4日、江戸の加賀藩本郷邸に生まれた。父は13代藩主・前田斉泰(なりやす)。母は、11代将軍・徳川家斉(いえなり)の娘・溶姫ようひめ)。
慶寧(幼名・犬千代丸)の誕生を祝って、金沢の城下では、6月1日、2日に「盆正月」といって、作り物や祇園囃子、踊りなどで、前代未聞の賑わいぶりだったそうです。
・・・徳田さんは、この金沢独特の「盆正月」を復活させてはどうかと提案していました。

慶寧は天保13年、満12歳で元服し、将軍・家慶に謁見、将軍の一字をもらい、「慶寧」と名乗る。

満16歳の時、正室・崇姫(たかひめ、久留米藩主・有馬頼徳の娘)を迎えるが夭逝、次の正室・通姫(つうひめ、鷹司政道の養女)も夭逝。3人の側室のうち、筆(ふで、家臣・久徳嘉兵衛の娘)を最も寵愛した。

慶寧は、中肉中背、頑強ではなかったが、鷹狩りや乗馬、槍術を好んだ。
青年期の慶寧は、尊皇攘夷派の影響を受けたが、藩主になってのち、卯辰山開拓や西洋流軍備の改革、海外留学生の派遣など、加賀の近代化に貢献したということです。

・・・徳田さんのお話は、これまでになくユーモアにあふれるお話で、会場を沸かせていました。


で、前田慶寧のお話にちなんで、江戸の加賀藩邸に建てられた赤門の写真を・・・。以前に、撮影したものです。
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江戸・加賀藩邸の赤門(現・東大)

文政10年(1827)、加賀藩主・前田斉泰にとついだ11代将軍・徳川家斉の息女・溶姫のために建てられた朱塗りの御守殿門。国の重要文化財になっています。

d0043136_2032995.jpg

本郷・加賀藩上屋敷があった場所(現・東大)

溶姫がとついで、3年後に慶寧(犬千代丸)が生まれた訳ですが、当時の加賀藩上屋敷は、いま、東大の構内になっているんですね。

ちなみに、加賀藩中屋敷は、巣鴨御籠町(現・文京区本駒込)にあり、下屋敷は、板橋(現・板橋区加賀)にあったそうです。板橋には、「加賀小学校」があり、校章には梅(加賀藩は剣梅鉢の紋)がデザインされているそうです。
いつか、加賀藩ゆかりの場所をのんびり歩いてみたいものです。

PENTAX *ist Ds
SMC PENTAX-F 35-105mm/F4-5.6
東京・本郷
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by tokimekiroman | 2006-10-04 20:43 | Trackback(1) | Comments(12)
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Tracked from 兼六園 at 2007-06-11 16:23
タイトル : 明治以降:兼六園の歴史
■兼六園の一般公開 長らく藩主の私庭とされてきた兼六園ですが、明治4年から日時を限っての公開を開始。 同7年、兼六園は全面的に市民へ開放され、それにあわせて多くの茶店が出店。同9年には兼六園観光案内組合が組織され、積極的な観光利用の歴史が始まります。 園内..... more
Commented by ironsky at 2006-10-04 22:00
写真を見たとき、「県立歴史博物館?、東大の赤門そっくり」って思いました。
下の写真も、東大の校舎にそっくりだし・・・・
文章を読んで、「なぁんだ東大だったんだ」と安心しました。
Commented by NIKON∞ at 2006-10-04 22:08 x
出たあ!東大!!2枚目が面白い撮し方だと思います。PENTAXのレンズはよく分かりませんが,凄い描写をしてくれますね。
Commented by yoas23 at 2006-10-05 07:21
「盆正月」は面白いですね、正月と盆の間だからではなく盆と正月が一度に来たような目出度さと言うのでしょうね。
東大の場所に加賀藩屋敷があったなんて知りませんでした。
「8へえ~」
Commented by namazu_5757 at 2006-10-05 09:58
東大の赤門が、加賀藩のものだとは「10へぇ〜」。
参勤交代で江戸にやって来て、何年か暮らしてまた地元にもどるのでしょうか。当時の都会江戸と地方の暮らしの差はどうだったのでしょうね。
Commented by くてくて at 2006-10-05 18:23 x
赤門には確か前田家の家紋の梅鉢があったように思います。

調べ切れていないのですが、横浜の中華街近くに加賀町警察署があります。住所は山下町で加賀町はないようですが、これも加賀藩ゆかりなのかな?とひそかにおもっております。
Commented by tokimekiroman at 2006-10-05 20:10
▼ ironskyさん、こんばんは♪
誤解を招くようなかたちで、ごめんなさい。講演会の写真が撮れなかったので、以前に東京で撮った写真をアップしました。使う機会がなく、お蔵入りしていたものです。
ところで、ironskyさんからいただいたコメントにご返事していませんでした。6月11日の記事です。ほんとにドジなことで、ごめんなさい。
Commented by tokimekiroman at 2006-10-05 20:14
▼NIKON∞さん、こんばんは♪
この日は小雨が降っていて、こんな写真になりました。
2枚目、参勤交代で、初めて江戸に来た加賀藩士になったつもりで撮ってみました(笑)
Commented by tokimekiroman at 2006-10-05 20:31
▼yoas23さん、こんばんは♪
その通り。盆と正月が一緒に来た、というあれですね。
若君の誕生を祝うことを「盆正月」というのは面白いなと思いました。

「8へえ~」もいただいて・・・(笑)
「トリビアの泉」にちなんで、「リアルへえボタンというのを作った人がいるらしいです。ここ↓
http://kengo.preston-net.com/archives/000838.shtml

Commented by tokimekiroman at 2006-10-05 20:40
▼ namazu_5757さん、こんばんは♪
「10へぇ〜」もいただけるんですか(笑)
参勤交代は、加賀藩の場合、3月か4月ごろ、金沢から江戸に行き、1年間滞在して、翌年の同じ時期に江戸から金沢へ。そこで1年間滞在して、再び江戸へ、というパターンのようです。
江戸が賑わったとはいえ、町人は「宵越しの銭は持たぬ」長屋暮らし、地方の農民は年貢に苦しめられ、ということのようです。
あ、見てきたわけではないですよ!
Commented by tokimekiroman at 2006-10-05 20:44
▼くてくてさん、こんばんは♪
梅鉢の紋がありましたか。気が付きませんでした。
横浜の話、興味深いですね。
新宿区には「市谷加賀町」があって、江戸初期に前田家の屋敷があったようですが。
Commented by kawa at 2006-10-05 23:01 x
東大が、加賀藩のだったなんて、東京にいながら(実は埼玉)知りませんでした。もっとも、赤門には縁がなく、白門でしたから。(意味わかりますか)
Commented by tokimekiroman at 2006-10-06 00:45
▼kawaさん、こんばんは♪
私も加賀藩だから知っているというぐらいです。
他の藩のことは、ほとんど知りません。
あ、意味わかりますよ。
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