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縄文のロマン!真脇遺跡
先日、恋路の火祭りを見に行った時、祭りの前に、同じ能登町にある真脇遺跡に立ち寄りました。

真脇遺跡は、昭和57年と58年に発掘調査が行われ、土器、石器、装身具、木製品、巨大な柱、大量のイルカの骨などが出土しました。

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イルカ漁でにぎわった真脇の海


この調査によって、ここが縄文時代の前期初頭(約6000年前)から晩期終末(約2300年前)までの、約4000年間も繁栄を続けた、他に類を見ない「長期定住型集落遺跡」であることが分かったのです。
このように、貴重な遺跡であることから、平成元年には、一帯約3万7000㎡が国の指定史跡になっています。

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国指定史跡の一帯


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真脇遺跡公園


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土製仮面のモニュメント

イルカの大漁を祈って、土製の仮面をつけて、お祭りをしたそうです。

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真脇遺跡縄文館


真脇遺跡縄文館を見学してきました。
(※ 中は撮影禁止でした)
ここには、発掘された土器、石器、イルカの骨などが展示されています。
出土したもののうち、219点が平成3年、国の重要文化財に指定されています。

はるか昔、私たちの先祖は集団でイルカ漁をして暮らしていたんですね。
そして、土器や石器、石斧を使い、翡翠の装身具を身に付けていたそうです。
しばし、平成の世を離れ、縄文のロマンを肌に感じるひと時でした。

PENTAX *ist Ds
SMC PENTAX DA12-24mm/F4ED
能登町・真脇遺跡縄文館
by tokimekiroman | 2006-07-31 22:14 | Comments(14)
Commented by ironsky at 2006-07-31 22:46
こんばんは。
4000年も続いた縄文遺跡なんですか。
縄文時代ですから、当然農耕はなかったはずですよね。
それが4000年も定住できたと言うことは、それだけ豊かだったという証拠です。
Commented by tokimekiroman at 2006-08-01 00:22
◆ironskyさん、こんばんは♪
イルカを主に食べていたようですが、時にはクジラも湾内に迷い込んだようです。
この時代はどんどん住む場所を変えるんですが、4000年も同じ場所にいたということは、それだけ食料が豊富だったと、係りの人が親切に説明してくれました。
Commented by yoas23 at 2006-08-01 03:01
外洋と湾が交接する半島の先端部だから、魚の種類も豊富だったのでしょうね。
また長く住むのに気候条件も良かったように思います。
翡翠の装身具と言えば近くは新潟のヒスイ峡が思い出されます、湾岸を伝わって人々の動きがあったのでしょうか?。
昔のロマンを感じました。有難うございました。
Commented by siawasekun at 2006-08-01 04:21 x
能登町にある真脇遺跡ですか。

こういうもの、大切にしたいですね。

遠い昔の人々の苦労、努力の軌跡の一部を残しておくことは、いいことですよね。

先人の苦労、工夫を眺め、今日の我々の生きる方向性を見出していきたいものですね。

なかなか、珍しい内容、ありがとうございました。
Commented by 風の旅人 at 2006-08-01 07:44 x
真脇遺跡も行ってこられたのですネ!
この遺跡は、ご指摘のとおりわが国の遺跡の中でも超一級品の遺跡です。今ではちょっと想像しにくいですが、日本の表玄関は日本海側、加えて当時の交通手段は陸路より海路。大陸文化が伝わり易かったのでしょうね。イルカ漁ですが、真脇の入り江はイルカを追い込むには最適な地形。貴重な蛋白源を確保できたのも長期定住型集落を形成できた要因に
一つでしょうね。能登には、「鯨一頭獲れれば七浦潤う!」という言葉がのこつています。
Commented by namazu_5757 at 2006-08-01 14:19
4000年間とは想像を越えていますね。住み心地が最高にいいということなんでしょうか?古代の話が出るといつも思うことがあります。
人の生きる力生活の知恵に関しては人は退化しているような気がします。何もかもお金で解決する今の生活では人自身の進歩は無い気がします。電気もガスもない無人島に漂着した今の人は何が出来るでしょう?火も点けれない、舟もつくれない。
こんな感じで私はいつも古代の人を尊敬のまなざしで思い見ています。
Commented by degdate at 2006-08-01 20:12 x
今晩は、
長期定住型集落遺跡ですか4,000年も続いたのは珍しいですネ。
イルカの捕獲はどんな方法で行ったのか興味がありますネ。
小高い所にあるのは津波対策もあったのでしょうね。
仙台には、地底の森ミュージアムと言う施設がありまして約2万年前の遺跡が発見されてそのままの形で表面処理され保存展示されています。
後日に取材して投稿いたします。
Commented by tokimekiroman at 2006-08-01 23:08
◆yoas23さん、こんばんは♪
縄文時代は、意外に遠くからものが運ばれていますね。
翡翠は新潟の糸魚川あたり、黒曜石は信州の岡谷あたりが産地ですが、そこから舟などを使って運ばれていると思われます。
青森の三内丸山遺跡でも、糸魚川の翡翠や信州の黒曜石が出土しているそうですよ。
そういう交易のルートがあったんですね。
私もそういう話にロマンを感じます♪
Commented by tokimekiroman at 2006-08-01 23:13
◆siawasekun さん、こんばんは♪
数千年前の人々の暮らしがすぐそこに見えるような気がしました。
きょう、あすの話ではなく、たまには、数千年のスケールでものごとを考えてみるのもおもしろいですね。
Commented by tokimekiroman at 2006-08-01 23:20
◆風の旅人さん、こんばんは♪
風の旅人さんのほうが詳しいですね(笑)
当時は入り江にイルカを追い込む漁法で、一つの集落では足りず、いくつかの集落の力を借りていて、その代わりに、獲ったイルカはその集落に分けたそうです。
これは鯨も同様で、それで、「鯨一頭、七浦潤う」という言葉は、全国各地に残っているようです。
Commented by tokimekiroman at 2006-08-01 23:25
◆namazu_5757さん、こんばんは♪
そうですね。自分で生きるすべを身に付けていた昔の人のほうが立派ですね。
時々、こういうものを見て、先人の知恵に思いをはせることも大事ですね。
国もそう考えて、重文にしたのかも知れません。
Commented by tokimekiroman at 2006-08-01 23:33
◆ degdate さん、こんばんは♪
イルカについては、縄文館の中に考古学者が監修した絵がありまして、それを見ると、たくさんの舟でイルカを沖から入り江に追い込んでいく漁法です。
仙台には、2万年前の遺跡があるんですか!
ぜひそれを紹介してください!
Commented by kawa at 2006-08-02 21:30 x
>真脇遺跡
能登一周プランのため、ネットで検索をすぃていたら、ここが出てきました。宿泊施設もあるみたいですね。確か、TVの旅番組でも紹介されたましたね。
Commented by tokimekiroman at 2006-08-02 23:38
◆kawaさん、こんばんは♪
能登1周旅行ですか!いいですね。
この遺跡のすぐ横に、宿泊できる「真脇ポーレポーレ」と「縄文真脇温泉」があります。
まだ宿泊したことは、ないんですが、のんびりできる時間ができたら、泊まってみたいところです。
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